自転車で初詣ライドに参加しました。
ルートは、
足立区のキッチンとれたてでトイレ休憩
足立区の西新井大師、北区の荒川BASEでコーヒータイム
北区 平塚神社 大塚駅前にて解散 と、いろんな所をめぐりました。
9時30分に、池袋西口公園で集合。
8人くらいの参加で、かわいいお子さんを自転車に乗せている方もいて
わきあいあいと走り始めました。
とにかく かわいいくまくま神社。御朱印もこのゆるキャラテイストでとてもかわいいらしいもののようです。
<由来>
創立は応永年間(室町時代)、宇多天皇の皇子敦実親王14代の孫にあたる庭田主水正氏兼(後に岩田と改姓)が当地に移住し、熊野権現(和歌山県の熊野三山に祀られる神)を勧請(祭神の霊をわけて、他の神社にまつること)し創建した。
<ご祭神>
伊佐奈美命
速玉之男命(イザナミとイザナギが喧嘩別れをした際に、イザナギが吐いた唾が神様になった。唾の神)
事解之男命(唾の神を掃き掃除した神。速玉之男命の相棒でよく一緒に祀られている)
参考
くまくま神社を出て山手通りを北上し、中山道に合流します。
少し進むと、氷川町氷川神社(板橋富士)に到着。
少し控えめな高さの富士塚がありました。
富士塚の頂上には、小ぶりながらも複雑な木組みと彫刻が美しい天祖神社という社がありました。(天祖神社は天照大御神を祀る社だそうです)深川の地名のある年季の入った張り紙も。遠くからお参りにきたのかな。
社殿の裏に、カラフルな色の神輿蔵がありました。まるでにっこり笑ったちょび髭のおじさんみたいに見える。シミュラクラ現象。蔵だけに...。
氷川町氷川神社の詳細
<由来>
元久三年(1206年)頃(室町時代)、豊島氏当主で石神井城主の豊島泰経が、武蔵国(埼玉県)一の宮 氷川神社から当地に御分霊を勧請した。
荒川流域には、氷川信仰(スサノオを信仰すること)に基づく氷川神社が多数分布している。
<ご祭神>
素盞男尊(イザナミイザナギの息子。父に海の支配を任されるが、母神への寂しさから海を荒れさせる。八岐大蛇を退治した)
参考
~第22回~ 「稲田姫命の話」|武蔵一宮 氷川神社|note
氷川神社を出て中山道に戻り、さらに北上、石神井川を越えて旧中山道に進むと縁切り榎(榎大六天神)がありました。
仲宿商店街の一角にある縁切り榎。板橋宿は江戸時代の宿場町だったそうで、今でも商店街としてにぎわっています。とても小さい神社なのに全国的に有名なパワーのある神社だそうで、たくさんの人が参拝していました。
<由来>
江戸時代、当地に旗本・近藤登之助の抱屋敷(私邸)があった。
そこの榎がいつの頃からか縁切榎と呼ばれ男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う際、
榎から削ぎとった樹皮を煎じて対象の人物に飲ませると成就するとされ、信仰を集めた。今の榎は3代目。
<ご祭神>
淤母陀琉
阿夜訶志古泥(オモダルの妹)
(イザナギ、イザナミの前の6番目の神.。整った男女の容姿を神格化した神。中世になると、6番目つながりで仏教の第六天魔王(欲界(地獄~人間界)での最高神)と同一視された)
人がたくさんいたので中には入らなかったのですが、中にはモルタルで固められた2代目榎や、ガチャガチャ式の縁リセットみくじがあるそうです。
参考
オモダル・アヤカシコネ(淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神)のご利益と神社
縁切榎を後にして、今度は赤羽八幡へ向かいます。
ルートは、味の素ナショナルトレーニングセンターの横の協栄通りを通って、小豆沢の諏訪通りに出て東に進み、新幹線の線路に沿って南下する赤羽八幡が見えてきます。
長くなってきたので続きはまた書きます。