【江東区】梅と藤の名所 亀戸天神社

先週、もう梅は終わっているかもしれないという懸念もあったのですが、せっかくなので、亀戸天神社に行ってきました。

 

亀戸天神社の本殿

鳥居をくぐると、境内をぐるりと囲むように心字池が広がっていて、中央の太鼓橋から本殿に向かいます。

 

太鼓橋から心字池をのぞむ

池の周りの梅は終わりかけていました。あと2週間早く来るべきでした。(2月は梅まつりをやっていたそうです)。藤棚もたくさんあり、これは4月下旬から5月上旬に楽しめそう。

 

ミシシッピアカミミガメがいました

めっちゃいる 亀戸だけに。。。

アオサギとアカミミガメ

風流なアオサギと鯉

ムクドリアオサギとカメのスリーショット

梅の季節は過ぎてしまったけど、次は藤の時期にまた来たいな。たくさんの動物が見れてよかったです!

 

亀戸天神社

〒136-0071 東京都江東区亀戸3丁目6−1

6時から17時

 

<ご祭神>

菅原道真公:平安時代の貴族、学者。学問の神、受験の神として親しまれている。藤原時平との権力争いに敗れ、太宰府へ左遷された。

天菩日命(あめのほひのみこと)記紀の神話では、スサノオが姉のアマテラスに会いに行って、十拳剣をアマテラスに渡し、アマテラスからは勾玉を渡されて、それぞれの道具から神様を生み出した。勾玉から生まれたのが5柱のうちの1柱が天菩日命で菅原氏の祖先。後の大国主命の国譲りで交渉役になる。

 

<由来>

1646年、太宰府天満宮の神官の菅原大鳥居信祐(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げで、公ゆかりの飛び梅注1の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため諸国を巡り、亀戸村にたどり着き、村に元々あった天神の小さなほこらにご神像をお祀りした。

 

徳川幕府は、本所の町を、明暦大火の復興開発の土地とさだめ、四代将軍家綱はその鎮守の神様として現在の社地を寄進された。
1662年10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬された。

 

飛び梅とは:権力争いで太宰府へ左遷された道真は、大好きな梅に別れを告げる歌を詠んだ。

 

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

 

「東風(春風)が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けておくれ、梅の花よ。主である私がいないからと言って、春を忘れてはならないよ」

 

道真の想いを受け取ったのか、梅の木は、一晩で太宰府へ飛んでいったとのこと。
この梅が、現在の太宰府天満宮にある、樹齢1,000年を超えたご神木、白梅に名付けられた「飛梅」。

 

飛梅」は毎年、2月上旬から中旬にかけて見頃を迎えますが、境内にあるどの梅よりも先に咲くそうです。

 

<参考>

亀戸天神社|公式ホームページ

祭り・年中予定|亀戸天神社|公式ホームページ

四季ギャラリー|亀戸天神社|公式ホームページ

亀戸天神社(東京都江東区)|TOKYOおでかけガイド

『アメノホヒ』日本神話の神様|天菩比神・天穂日命

飛梅伝説 とびうめでんせつ|暦とならわし|暦生活