初詣めぐり1のブログで板橋を後にして、赤羽駅の西口近くにある赤羽八幡を目指しました。
まずは、急な階段を上ります。
裏参道は、階段ではなく険しい坂になっていて「トレーニング禁止」の看板が。
斜度は20から28%とYoutuberのふくちゃんが言っていました。
赤羽八幡神社はエイター(関ジャニ∞のファン)と、鉄ちゃんに人気の神社だとか。
八幡神社の8を横にした∞マークが関ジャニ∞の無限大マークと同じことから、エイターさんの聖地になっているそうです。
絵馬にも、関ジャニ∞への願いがたくさん書かれていました。
もう一つ特徴的なのは、この神社は新幹線が通るトンネルの上に建っている神社とのことで、新幹線や京浜東北線の線路が神社からよく見れます。両方走っている所を取れたらいいですね。
<由来>
784年(奈良時代)に桓武天皇より征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が、大和朝廷が異民族と見なしていた東北地方に住む「蝦夷」を討伐するため、この場所に陣を張り、八幡三神を勧請し武運長久を祈った。
<ご祭神>
応神天皇(4世紀後半〜5世紀初頭ごろの大王と推定されるが考古学上において定かでない。第15代天皇。渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉された。別名は誉田天皇)
神功皇后(実在したとすれば4世紀後半頃。応神天皇の母。第14代天皇。仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨。別名は気長足姫尊)
仲哀天皇(古墳時代の第14代天皇。日本武尊の子で神功皇后の夫。通説では実在性の低い天皇の一人に挙げられる。日本書紀での名は、足仲彦天皇)
なるほど。奈良時代の武者が赤羽に陣をはって、古墳時代の天皇を祀ったのですね。
参考:
「∞」マークで話題の赤羽八幡神社でうさぎを探して縁結び効果をGET!|るるぶ&more.
続いてJRの高架下をくぐって東へ進み、新荒川大橋の近くの岩淵八雲神社に向かいました。
荒川流域の住宅街に現れる八雲神社。なんでも勝海舟にゆかりがあるとか。
<由来>
創建年代は不明。江戸時代に日光御成道の岩淵宿鎮守として崇敬される。
荒川流域の為、境内に水神社がある。
蔵には勝海舟が書いた大のぼりが保管されている。
(勝海舟が軍艦の大砲の製造等で川口に寄ったとき、岩淵宿に泊まったお礼に書いたと言われている。)
梅雨時期の6月第一土曜日の水神社例祭にはきゅうりがお供えされる。岩淵には河童伝説や須佐之男伝説があり、岩淵では、きゅうりを食べない風習があるそうです。
<ご祭神>
<ゆかりの人>
勝海舟(両国生まれ。蘭学を学ぶ。咸臨丸でサンフランシスコに渡航し、帰国後、軍艦奉行に就任。海軍を建設・発展させた)
参考:↓ 岩淵八雲神社について読みごたえがありました。
北区の北側にある岩淵八雲神社から、南側にある平塚神社までのルートはいろいろな所をめぐったのですが、ルートについては、後日書きたいと思います。
平塚神社の横にある平塚亭というお団子屋さんは、俳優の伊東四朗さんが、ドラマおかしな刑事で撮影されていたそう。
長い参道には、稲荷神社や菅原神社、神輿蔵などがありました。
<由来>
創立は平安後期。源義家が奥州征伐の凱旋中に訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜した。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守とした。この塚が平塚と呼ばれた。
さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願った。
江戸時代になると、無官の盲者の山川城官貞久が平塚大明神に立身出世を願い、家光の近習となった。家光の病も平塚神社で平癒を祈願し、徳川家光も度々参詣した。
<ご祭神>
八幡太郎 源義家命(平安後期の武将で、源頼朝・義経や足利将軍家の先祖。
賀茂次郎 源義綱命(義家の次弟。賀茂神社で元服したので賀茂次郎と号された。)
新羅三郎 源義光命(義家公の三弟で武田氏、佐竹氏、小笠原氏の先祖。新羅明神で元服したので新羅三郎と号された。)
平安時代の領主が、実際に出会った上司とその兄弟を祀ったのですね。
平安末期も源義家が東北地方に戦いに行ってたのかな。
参考
おまけ
北区ポタリング部さんが サイクルラックを設置してくれました。